2007年01月04日

「Little Girl, Giant Heart」

アルバム『WELCOME BACK』(1989)のいちばん最後に収録されているこの曲。

新年一発目から「最後の曲」のレビューというのもどうなんだろうと思いつつ、でも、いつ聴いてもどうしようもなく鼓舞されてしまうこの曲を景気づけに選びました。この曲のおかげで『WELCOME BACK』というアルバムを聴き終えたあとはいつも、いい映画を観終えて劇場を出るときのような気分になる。晴れやかさと、何とも形容しがたい、あの胸がいっぱいになる感じ。

インディアンの闘いの踊り…ではないけれど、本能的に奮い立たせられるリズムをもつイントロ、強めの風を受けてたなびく天女の羽衣のように、気持ちよく伸びるアッコちゃんの歌声。バンと勢いよく開いた扉の向こうには、さあ次の幕。何が待っているのやら。難しいことも含まれているかも。けれど切り抜けられないことなどはない、はずだ。

***

更新の頻度がすっかり落ちてしまったこのブログを辛抱強く見にきてくださっている皆様、ほんとうにありがとうございます。こんな感じではありますが、今年も続けていきたいと思っております。どうぞ今年もよろしくお願いします。

(作曲:矢野顕子、窪田晴男 アルバム『WELCOME BACK』(1989)に収録)


posted by かなへ at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月30日

「All The Bones Are White」

題名のbonesにwhite、「だきよせた私の肩に風が止まる」の歌詞、乾燥した冬の冷たさを連想する。白い熱いホットミルクがほしくなる。

しかし何よりこの曲が冬を感じさせるのは、白い息まじりできこえてきそうな冒頭の「会いたいな」のフレーズ。おお何という声を出すのだ、アッコちゃん。

街路樹も枯れ、通りにはまだだれもいない暗がりの午前5時台の街。まだ生命のないひっそりとしたところに、突如現れた人の気配にどきりとする。この歌の出だしに、そんな印象を受けた。冷たい空気の中、生命の気配は白い息という形で現れる。冬の空の下で見える、生きてるものが持つ温度の色。骨といっしょ。すべての生き物に共通の色。そしてすぐ消える。次々とまた一つ現れる。そこに生命がある限りだ。その点で、しろい息は、ひとりぼっちのとき取り止めもなく浮かぶ思い出と似ている。

「独り」ということを痛いくらいに(それこそ冬の外気みたいに)感じさせられる歌。この歌に満ちている「白」のイメージと結びついて、ますますそう思う。「白」って孤独が似合う色と思う。

雪の白、病院のシーツの白、人骨の白。ホットミルクの白、湯気の白、凍えた手のひらに吹きかける息の白。

孤独だが温かい歌。白という色が、死のイメージを内包しながらも、清潔で、時に温かい色だというのと似ているかもしれない。独りということが、冷たくて痛いのと同時に、なぜか平安をもたらすのと似ているかもしれない。独りをへた後には、ほんの少しの温かさが、心の底に宿るのと似ているかもしれない。人の体温と同じくらいの温かさだと言っておこう。

(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『OUI OUI』(1997)に収録)
posted by かなへ at 21:31| Comment(6) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

「ふりむけばカエル」

その夜、さえない気分を紛らわそうと、私はネットサーフィンに興じていた。しかし、とりたてて面白い情報にも出逢えず、溜め息まじりにパソコンの電源を切り、ふと携帯電話を見ると、一件の着信履歴が。ネットをしている間、カバンの中で鳴っていたらしい。それは蛙からであった。

アッコちゃんの「ふりむけばカエル」は、聴きながらあるいは口ずさみながら、つい歌詞を頭の中で映像化してしまう。イケてない自分に失望しがっかりうなだれていると、「どうにかなるさ」と背後から声が。ずいぶん下のほうから聞こえてくるその声。不審に思いながら振り返ると、足下にはとぼけた表情の小さなカエルが(私の中では、そのカエルは本物のアマガエルではなく、糸井重里さんがアッコちゃんのコンサートグッズのために描いた「さとがえる」だったりする)。がくっと脱力させられる、ゆる〜い情景。この曲のメロディーが持つハキハキはじけるような感じとはどこかミスマッチで、つい笑わされてしまうのだ。

何とはなしにゆーうつで、うっかり踏み誤るとクヨクヨ自分をかわいそうがってしまいそうになる瞬間、違う方向から声をかけてくれるカエルが背後にいてくれるときは幸運だ。小さなカエルの声を聞き逃さずに済んだときは幸運だ。

着歴の残ったケイタイを取り上げ、私は蛙に電話した。相変わらずバカな彼、それにバカな私。笑っているうちに夜は更けていった。そう、カエルに言われちゃ、どうしようもない。ほんと、笑って明日を迎えるしかないのだ。

(作詞:糸井重里 作曲:矢野顕子 アルバム『GRANOLA』(1987)に収録)
posted by かなへ at 14:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月19日

「"It's For You"」

長年アッコちゃんファンをやっていると、「矢野顕子のどの曲が好き?」とよく訊かれるし、私も訊く。

この質問に答えるのが難しいのは、お気に入りを絞り込めないからだけではない。「有名どころから言っとくか」とか、相手によっては、その人が知っていそうな曲から選ぼうと計算してしまうせいもあると思う。あと、「この場合、インストで答えるのは不可だろうか」「歌詞のある曲を言っておいたほうが、歌詞の内容を介して私の価値観も伝わりやすく、私という人間も知ってもらえるかも」とか。余計なスケベ心が働きすぎるのだ。

その結果、いつも選にもれてしまうのがこの曲。ホントは大大好きなのに。

個人的には「ビーナス誕生」というイメージを持っている。水の中、小さな泡が次々と立ちのぼり、上からは光がたっぷり注いでいる。グラスに注がれたばかりのシャンパンみたいにキラキラ透明な感じ。そして、繊細なだけじゃ終わらないダイナミズム。溢れそう、こぼれそう、すっぽり飲み込まれ、いらないものを、洗い流してくれそうだ。

1年間の休業後に出たアルバム『WELCOME BACK』(1989)の第1曲目に収録されたこの曲。まっさらで力強いこの曲をリアルタイムで聴いたファンの人たちは、彼女の復帰をどんな気持ちで受け止めたのだろうか。

(作曲:Pat Metheny, Lyle Mays アルバム『WELCOME BACK』(1989)に収録)
posted by かなへ at 22:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月17日

「I Sing」

慌しい日々。音楽を聴きたいなーと思うことも忘れ、しばらく過ごしていた。で、一区切りついた頃、繰り返し頭の中を巡ったのがこの曲だった。

ほかほかと温かい感じが心の中からわきあがるメロディー。落ち込み、疲れてしまっている人を励ますため私は歌うといった内容の歌詞。全体的に明るく前向きな雰囲気をたたえているが、その中に、どこにでもいる悩める人たちの悲哀がチラリと覗いている。その人たちに「Forget about…」「Don't worry about…」「My men, my women」と、呼びかけるような形で歌詞が書かれている。

自らも猫好きで、誰にも縛られない自由さをたたえたアッコちゃんではあるが、この曲はどことなく犬っぽい。落ち込んでいる人のそばに寄って、疑いのない瞳で人懐っこく笑いかけているような。その中に、自分の目の前の悲しい顔をした人を助けたいというまっすぐな意志。

自分のできることや自分の作るもので誰かを元気づけたいという気持ちが爽やかに力強く歌われていて、とても眩しい。この歌に強く惹かれる私であるが、私は励まされたいのだろうか、それとも励ましたいのだろうか。

(作詞:矢野顕子 作曲:坂本龍一 アルバム『ただいま。』(1981)に収録)
posted by かなへ at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月25日

「Pastorale(Pastoral)」

アッコちゃんのアルバムの中で、梅雨の季節が最もよく似合う(と勝手に認定)『ブロウチ』(1986)。いやなジメジメをふっとばせ! というよりはむしろ、雨の音やものうい空の色、濡れた道路の光やあじさいの色が特別な妖しさで迫ってくるように思え、ちょっと違う気分で雨の日を過ごせそう…そんなアルバムだと思う。

薄気味悪い感じの曲と、素直に美しい歌詞やメロディーのついた曲がだいたい半々の割合で収められているが、両者のちょうど中間に位置する印象のこの曲に、私は強く惹かれる。

牧歌という意味の題名がついたこの曲。アッコちゃんの伸びやかな高音は、たしかに草原を吹き抜ける風のようにスーッと気持ちいいが、一定のリズムを刻み、ときおり暗さがにじむ伴奏に、私は屋内の情景を想像した。誰もいない美術館をコツコツと足音を立てながら一人で歩くみたいな。人間やその他の動物とは異なる生命が静かにひしめく場所、そんな感じ。

(作曲:I. Stravinsky アルバム『ブロウチ』(1986)に収録)




posted by かなへ at 21:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

「行かないで」

改めてあなたのことが好きだと、一人で思った。
二人で共有する「好き」は、ぬくぬくと温かく、ただただ幸福だけれど、「好き」という思いに一人で向き合うときは、ほんの少し孤独で、ざわざわとした気持ちがする。でも、底のほうにかすかな明るい光。

歌の中に織り込まれている田んぼ道の風景は、私にとってはなじみ深いものだ。よく犬の散歩で歩いたから。夕暮れどきなどは、たまに高校生くらいのカップルを見かけた。二人きりになったり、一人きりで考えたりするときに、とても優しい場所なのであった。平べったくて隠れる場所はないのに、不思議と守られているような気がするのだ。

(作詞・作曲:矢野顕子、岸田繁 アルバム『ホントのきもち』(2004)に収録)
posted by かなへ at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月10日

「GIRLFRIENDS FOREVER」

明るいメロディーに「ポップコーン」「バニラアイスクリーム」「マシュマロ」なんて単語が乗っかっている。可愛らしい。それに、大好きな女友達がいる女性なら、おそらく理解は難しくない歌詞。初めて聴いたときからずっとお気に入りの曲だった。

でも、自分の年齢が29、30に入ったあたりから、この曲の聴こえ方が違ってきた。ゼリービーンズのようにカラフルな色彩が、ぱーっと広がるみたいな感じ。よりはっきりと、鮮やかな実感をもって入ってくるようになったのだ。

学生の頃は、そして友達に独身者が多かった頃は、女友達に気軽に会えたし話せた。他愛のない話を際限なく続け、笑顔ばかりあげたりもらったり。深刻な相談ごとをしていたはずが、気がつくと関係ない話に流れていて、問題は何ひとつ解決しちゃいないのに、少しだけ勇気が湧いていたり。でも、そういうのは、毎日の当たり前のひとコマだったのだ。

自分と友人のどちらにも、その他にすべきことが増えてしまった今、この曲を聴くと、離れていた友達と久しぶりに話す高揚が、わかりやすく飛び込んでくる。計算抜きで言いたいことを言える相手のいるありがたさを知るほど、この曲は色鮮やかになるのかもしれない。

ところで、この曲はアッコちゃんのライブでよく歌われる。そのたびに違った印象を受ける。歌う側の気持ちや、聴く側の気持ちで幾通りにも変化するからかなと思う。そこのところは、友情と少し似ているのかも。数年後、そして10年後の私は、この歌をどう聴いているのだろうか。楽しみなところである。

(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『GO GIRL』(1999)に収録)



posted by かなへ at 23:35| Comment(7) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月31日

「青い山脈」

若者がハイキングをしている歌。なのに、なぜか哀しげなメロディー。

おそらく一度は誰もが耳にしたことのあるこの曲をアッコちゃんがカバーすると、スリリングな感じが加わった。握った砂が、あっという間に指のすき間からすべり落ちるみたいな。草木が芽を出し背丈を伸ばし、樹木に成長するまでを一気に早回しのテープで見ているみたいな。後戻りは不可能、容赦のない速度だ。

古い上着を脱ぎ捨てて、振り返らずに前に進む。つかのまの青春を謳歌すべく、文字通り歌を歌いながら歩く。何に向かって声を張り上げているのかはわからないが、この瞬間を忘れたくない思いは本当。そんなふうにしているうちに、若い時間はあっという間に消えてしまう。

儚い、美しい、だけど力強い。

(作詞:西条八十 作曲:服部良一 アルバム『ごはんができたよ』(1980)に収録)
posted by かなへ at 20:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「悩む人(A Worried Girl)」

「だけど悩む時間はたのしい」と、前奏なしで突如始まるこの曲。
いや、前奏はあるのかもしれない。冒頭の「だけど」という言い回しは、この結論に至るまでにぐるぐると悩んでいた様子を想像させる。メロディーなき前奏といったところか。

そして、終盤で「ここに悩む人」というフレーズが何度も繰り返し歌い上げられる。この曲を初めて聴いた高校時代、題名から自分のことが歌われているのかと期待しながら聴き始めたが、この軽やかさが腑に落ちなかったのを覚えている。悩む人についての歌が、なぜこうもノリノリなのか。思春期特有のドロドロの自己嫌悪にさいなまれ、それらに真正面から向き合ってはへとへとになっていた小娘には、まだ早かったんだろうと思う。

そんな小娘も、オトナになるにつれ、やり過ごすことを学ぶものらしい。悩みとは、完全に消え去るまで固執し続けるものではなく、何とか折り合いをつけながら、日々のすべきことと同時進行させるものなのだと感じ始める。この歌の歌詞に出てくる「ありあわせの答え」が意味することが、ようやく実感としてわかり始めたのかも。

それに、悩む人を何度もやっていると、自分の欠点や悩みと顔なじみになる。昔の日記を読み返して、「似たようなことばっか書いてんなぁ」と思う。成長がない? そうかもしれない。しかし、残念ながら、人の本質などというものは、そう簡単には変わらない。でも、代わりにテクニックは覚える。かわすこと、逃げること、やり返すこと、笑い飛ばすこと、そして何より赦すことをオトナは覚えるのだ。そんな風にして、悩みにぶつかると「今回もひとつコントロールしてやろうじゃないか」と、ほんの少しわくわくしてしまうのだ。で、結論として「だけどたのしい」なのかな、と思うのだ。

(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『WELCOME BACK』(1989)に収録)
posted by かなへ at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

「にぎりめしとえりまき(THE RICEBALL AND THE MUFFLER)」

この歌のふわふわとした、あるのかないのか判らないようなメロディーがずっと気になっていた。粉雪みたいに、なかなか着地しない感じ。絵本を読んでもらっているような、昔話ふうの世界を感じさせる歌詞に合っている気もする。

さて、このメロディーがどこからやってきたのかを、先日私は突き止めた。
先週、4日ほどかけて青森を旅してきたのだが、電車や温泉で耳にする会話の中に(特にお年寄りのそれ)、あの一言一言確認しながら話しかけるような上向きの調子を認めたのだ。少しして、あ、「にぎりめしとえりまき」の喋り方だ!と思い至った。そう、この曲にはアッコちゃんの生まれ故郷の言葉、津軽弁のアクセントが閉じ込められていたのだった。

随分昔、大阪さとがえるコンサートでアッコちゃんがSMAPの『Hey Hey おおきに毎度あり』を歌ってくれたことがあった。上がったり下がったりする関西弁のアクセントをノリノリで歌っていたアッコちゃん。話し言葉と音楽の距離が近いのだ、とても。

(作詞:糸井重里 作曲:矢野顕子 アルバム『ELEPHANT HOTEL』(1994)、『TWILIGHT』(2000)に収録)
posted by かなへ at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月10日

「HIGHLAND」

今日の昼間の蒸し暑さ。
なんだって、こんな日に当番はエアコンをつけないのだろう(うちの会社には、男性の週番以外はエアコンのスイッチをいじってはいけないという暗黙の掟がある)。おまけに繁忙期中には、外部からやってくる人も多く、私のいるフロアの人口密度は急増する。空気中には、もう誰のものだか判らないくらいに混じり合った体温とにおいがぺったりと横たわる。もう、そろそろ限界かな…。と、そこに天の助けのように、網戸を通ってしばし風が入る。小脇に置いたペットボトルの飲み物をぐいぐい飲む。

私たちの住む国とは比べ物にならない高温多湿を誇るThailandを歌った「HIGHLAND」。そういった国に流れているであろう、とろーんとした濃い空気がうまく閉じ込められている。それに、頭がボーっとする暑い昼間にたくさん汗をかきながら眠る気持ちよさも。あと、初めて訪れる国に対する新鮮な驚きがピョコピョコ覗いている気がする。私は旅が好きなので、そんなところも好き。

さて、網戸からやってきた風は止み、再びとろーんとした空気がオフィスに居座る。南の島、と社内で呼ばれているフロア南側のデスクの一角から、先輩の女性がバイトの男の子を叱る威勢のいい声がする。東南アジアの街の魚屋さんって、あんな感じだろうか。今日のような日に、急ぎの仕事がないのは不運だ。困る。集中できない。明日はも少し忙しいほうがいいな。というか、せめて午後からだけでもエアコンがつくといいな。

(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『オーエス オーエス』(1984)に収録)
posted by かなへ at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

「Good Guy」

穏やかかつラブラブな歌詞に、少し意外なメロディーがついている。私にとってこの歌はそういう印象だった。海の底のような、広いけど薄暗い場所で歌われている、そんなメロディー。

恋とは、愛とは、もっと光に満ちていて、うきうきするものなのだと思っていた。5月の晴れた日の芝生みたいに、明るくて平らで走り出したくなるような。

だけど、「固くなった不安も やわらかく」して、「私を強くする」笑顔や言葉が、静かで薄暗いところに漂っているのかも、ということに、いつの間にか違和感を抱かなくなっていた。不安定な心が落ち着きを取り戻す温度と湿度。しっとりとした紺色の気配。この曲で歌われる「あなた」は、いいときばかりじゃなく、オチてるときやイケてないときも、じっと側にいてくれそうな気がするのだ。

(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『reverb』(2002)に収録)
posted by かなへ at 21:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月06日

「David」

よく晴れた海のそばの街、見晴らしのいい丘、自転車、心地よい風。感じのいいものばかりを連想させる晴れやかなメロディー。とても肯定的。久しぶりに会う大好きな友人に向ける笑顔のように嘘のない、まっすぐな。

一方で、落ち込む友の肩を抱くような、細やかでやさしい肯定も感じられる。うまい言葉を懸命に探しながら、自分のことを話す相手を小さなテーブルの向こうから見守るような。相槌などを打ちながら。

よく笑いよく泣く、心の素直な私の友達。尽きないお喋り、飲み物、いい大人二人の馬鹿笑い、飾らない言葉によるホンモノの励まし。それは友情という名の、愛情。

(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『峠のわが家』(1986)、『Hitotsudake the very best of Akiko Yano』(1996)に収録)
posted by かなへ at 20:34| Comment(3) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月30日

「Happiness」

なにかいい結果を手にしたとき、「よかったね」と言われるのと「いいなー」と言われるのは、どこか違うと気がついた。

「よかったね」は、自分の気持ちに寄り添ってもらった気分がする。幸運を手にするまでに経験した、挫折の涙やひそかな頑張りをも、相手が酌んでくれているような。反対に「いいなー」には、「そんなの知らないもん。あなたは今幸せなんだから、私よりは恵まれてるでしょ。それでいいじゃない」と居直って背を向けられたような雰囲気がある。意地悪な見方だろうか。そこまででなくとも、その人は目下抱えている不安(や不満)が大きくて、もう大変なのだ。私自身「いいなー」をしきりと口にするときは、そういう気持ちだ。危険なのだ。

で、この歌だが、恵まれていると感じる相手(美しい女の人や金持ちの男の人)と、「そっと人生をとりかえ」て相手になりかわってみると、自分が思っていたほどには幸せでなかった…という歌詞である。糸井重里氏の歌詞の多くは、さりげないけどしっかり心に残る、絶妙な質量を備えていて感服してしまうのだが、この歌詞はちょっと、小学校代に読んだ道徳の教科書みたいだと思う。

ただ、アッコちゃんの曲とのバランスが面白い。外は曇天で、小雨なんかも降っていて、知らない国の高速道路を走っているような。無機質で匿名性の高い感じが、道徳の教科書を、現代の大人の童話にまで引き上げた。

今日も「街のどこか」では、人々が「そっと人生をとりかえる」のだそうである。その結果、「よかったね」を言う人の数が、「いいなー」を言う人の数を上回ればいいと思う。

(作詞:糸井重里 作曲:矢野顕子 アルバム『Oui Oui』(1997)に収録)
posted by かなへ at 09:52| Comment(8) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月28日

「Paper Doll」

突き刺さるこのつらさはどうだろう。大人の恋の歌であるようでいて、生乾きの痛みが鮮やかに伝わってくる。

同じく山下達郎氏が作詞・作曲した「スプリンクラー」(『SUPER FOLK SONG』(1992)に収録)よりもこちらのほうが辛い。「スプリンクラー」はスピード感が救いだけど、この曲には間があるから。傷の痛みを感じるだけの間が。

疲れ切った男の人を見ると苦しい。帰るところのない野良犬を見てしまったあのやりきれなさにも似ているからだ。

(作詞・作曲:山下達郎 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)

posted by かなへ at 22:57| Comment(4) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

「さようなら」

アルバム『Home Girl Journey』には、その名にふさわしく、旅立ちを歌った曲が数多く収録されている(すでに紹介した「さすらい」や「Home Girl Journey」、オリジナル・ラブのカバー曲「夢をみる人」など)。この曲でも、ある男の子の旅立ちが歌われている。

男の子は、おかあさんと離れ、一人で遠くに「すぐいかなきゃなんない」のだという。初めてこの曲を聴いたとき、私は彼が旅立つ遠い場所とは、天国のことだと思っていた。なぜって、この曲にはただならぬ感じが漂っているのだ。かすかに哀しげな、けれどもピリリとした、霧の濃い肌寒い春の朝みたいな気配が。

しかし今、改めて歌詞を読むと、これから小学校に上がる男の子が、ぬくぬくと平和な家の中の世界から、外に向かって船出していくところを描いているのかな、という印象を持つ。「ピッカピッカの〜1年生」的なはつらつさがなかったので、うっかり悲しい歌なのかと思ったのだった。

この歌では、「新しい世界への第一歩」を「大人に近づく」というよりは、「子供時代の自分がいなくなること」として捉えている気がする。私に死を連想させた厳かな感じがするのは、その喪失の気配のせいだ。そして、私が胸を打たれるのは、子供の「ぼく」が自分の安住してきた世界を失うことを知りながら、それを恐れていないこと、とにかく前しか見ていないことだ。これから成長していく子供なら誰もが秘めている神々しいほどの強さを感じる。

脱皮を繰り返し、「しぬまでいきる」。そんな人の一生のスタートラインに立ったばかりの子供たちが、今年も桜並木の下を通ったのだろう。もう、学校には慣れた頃だろうか。

(作詞:谷川俊太郎 作曲:谷川賢作 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)

posted by かなへ at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

「やめるわけにゃいかないわ」

心が泡立つイントロ、彼女は緊張を強いられる局面に立たされている。
けれど彼女はそこから動かない。足がすくんでしまったからか、覚悟を決めたためなのか。細い声で歌われているけれど、勇ましい歌詞。彼女は弱いのか強いのか。少なくとも、目をそむけるのはやめようと考えたのかもしれない。

大人になると、がむしゃらなんて態度は、あまり歓迎されないところに行くことが増える。
それでも、どうしようもなく、心を奮い立たせられてしまうのだ。この曲に。

(作詞:矢野顕子 作曲:冨田勲 アルバム『ト・キ・メ・キ』(1978年)に収録)
posted by かなへ at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月12日

「Home Girl Journey」

春の花が咲く瞬間、嬉しい手紙を最初に読んだときのドキドキ、空港に向かう始発の電車に、スーツケースを持ち上げて乗り込む瞬間、それと窓の外の徐々に染まる朝焼け。誰も知らないところで、何かが始まっている。静かに。けれど色美しく。今の季節にピッタリな曲。

(作曲:矢野顕子 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)
posted by かなへ at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月09日

「さすらい」

自由で身軽であることのかっこよさ、それに伴う責任を引き受ける気持ち、何かが起これば人の助けも借りるけれど、人のせいにはしない感じ、しなやかだけど、胆がすわっている感じ。それは、知らないところに一人で出かけるとき、必要なものという気がする。

奥田民生さんがこの曲を出したとき、その軽やかさ、邪魔な荷物をもたない(あるいはあえて切り捨てている)自由さが彼らしいと、気に入って何度も聴いていた。アッコちゃんがこの曲をカバーすると、不思議と肝っ玉母さん性が加わった。民生氏の「さすらい」からは、田んぼや無人駅、非日常の一人旅の風景が浮かんでくるのに対して、アッコちゃんの「さすらい」を聴くと、旅を終えて帰ってくる日常の風景を思い描いてしまう。旅は俗世の垢を落とすためにするものなんて言い回しがある。そのコトバから私が連想するのは、面倒を切り捨て、いったんリセットする感じ。しかし、アッコちゃんの「さすらい」は、リセットというよりは、「かかってこんかい」という印象を受ける。結局のところ、人生はいいところも困ったところも、ずーっとつながっているのだという感じがするというか。

子供を生まなくても、肝っ玉母さんにはなれると思う。ホントにさすらわなくても、旅人にはなれると思う。アッコちゃんが歌うこの歌から、そう教わった気がする。

(作詞・作曲:奥田民生 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)
posted by かなへ at 20:49| Comment(6) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。