アッコちゃんの「ふりむけばカエル」は、聴きながらあるいは口ずさみながら、つい歌詞を頭の中で映像化してしまう。イケてない自分に失望しがっかりうなだれていると、「どうにかなるさ」と背後から声が。ずいぶん下のほうから聞こえてくるその声。不審に思いながら振り返ると、足下にはとぼけた表情の小さなカエルが(私の中では、そのカエルは本物のアマガエルではなく、糸井重里さんがアッコちゃんのコンサートグッズのために描いた「さとがえる」だったりする)。がくっと脱力させられる、ゆる〜い情景。この曲のメロディーが持つハキハキはじけるような感じとはどこかミスマッチで、つい笑わされてしまうのだ。
何とはなしにゆーうつで、うっかり踏み誤るとクヨクヨ自分をかわいそうがってしまいそうになる瞬間、違う方向から声をかけてくれるカエルが背後にいてくれるときは幸運だ。小さなカエルの声を聞き逃さずに済んだときは幸運だ。
着歴の残ったケイタイを取り上げ、私は蛙に電話した。相変わらずバカな彼、それにバカな私。笑っているうちに夜は更けていった。そう、カエルに言われちゃ、どうしようもない。ほんと、笑って明日を迎えるしかないのだ。
(作詞:糸井重里 作曲:矢野顕子 アルバム『GRANOLA』(1987)に収録)
「ふりむけば〜」と「くまんばち〜」は、何か共通するイメージがあるのは私だけ?でしょうか?
(それは糸井さんだから?)
「ふりむけば〜」→おかあさんといっしょ
「くまんばち〜」→みんなのうた
「ゆめのヒヨコ」→ポンキッキ
「わたしのにゃんこ」→みんなのうた
↑ ↑ ↑
(まちがってたらごめんなさい)
子ども番組というのも共通することなのですが、ノリのよい曲であるものの、歌詞だけをみるに、結構子どもにしてはシビアの内容だったりするんですよね(^^;)
よく娘もサビ部分だけウニャウニャと歌ってますよ☆
娘はおなかの中から矢野さん漬けです(笑)
さて、「くまんばち」は、確かに「子供むけの歌」にしてはやけに現実的な終わり方かも…。部屋に乱入してきた蜂を掃除機で吸い込んじゃうって(^^;)
「にゃんこ」も最後はちょっぴりほろ苦い終わりだったような…(CD持ってないので、子供の頃の「みんなのうた」の記憶で言ってます)。
「夢のヒヨコ」は、2番の出だしの歌詞が好きです。不意打ちをくらわされる感じで。
ponさんにご指摘いただくまで、どれも「子供向け」の番組に提供された曲だということを忘れて聴いておりました。そこがいいのかもしれない。
書き込みは本当に久しぶりです☆
原曲を聴いていないので、正確な(?)コメントはできませんが、曲の評と、現実がもしかしたらリンクしているのかもしれない、って思えるところが読んでいてステキでした☆
「腕、上げたなぁ〜」(チッチキチィ)
ご指摘の通り、その日に起こった出来事と曲のレビューを絡ませて書いてしまいました。「こんなことして、ファンの人(あるいは作者)に怒られるかも」と、ちょっぴり気にかけていたので、好意的な感想が嬉しいです(^^)ありがとうございます。