2006年04月30日

「Happiness」

なにかいい結果を手にしたとき、「よかったね」と言われるのと「いいなー」と言われるのは、どこか違うと気がついた。

「よかったね」は、自分の気持ちに寄り添ってもらった気分がする。幸運を手にするまでに経験した、挫折の涙やひそかな頑張りをも、相手が酌んでくれているような。反対に「いいなー」には、「そんなの知らないもん。あなたは今幸せなんだから、私よりは恵まれてるでしょ。それでいいじゃない」と居直って背を向けられたような雰囲気がある。意地悪な見方だろうか。そこまででなくとも、その人は目下抱えている不安(や不満)が大きくて、もう大変なのだ。私自身「いいなー」をしきりと口にするときは、そういう気持ちだ。危険なのだ。

で、この歌だが、恵まれていると感じる相手(美しい女の人や金持ちの男の人)と、「そっと人生をとりかえ」て相手になりかわってみると、自分が思っていたほどには幸せでなかった…という歌詞である。糸井重里氏の歌詞の多くは、さりげないけどしっかり心に残る、絶妙な質量を備えていて感服してしまうのだが、この歌詞はちょっと、小学校代に読んだ道徳の教科書みたいだと思う。

ただ、アッコちゃんの曲とのバランスが面白い。外は曇天で、小雨なんかも降っていて、知らない国の高速道路を走っているような。無機質で匿名性の高い感じが、道徳の教科書を、現代の大人の童話にまで引き上げた。

今日も「街のどこか」では、人々が「そっと人生をとりかえる」のだそうである。その結果、「よかったね」を言う人の数が、「いいなー」を言う人の数を上回ればいいと思う。

(作詞:糸井重里 作曲:矢野顕子 アルバム『Oui Oui』(1997)に収録)


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2006年04月28日

「Paper Doll」

突き刺さるこのつらさはどうだろう。大人の恋の歌であるようでいて、生乾きの痛みが鮮やかに伝わってくる。

同じく山下達郎氏が作詞・作曲した「スプリンクラー」(『SUPER FOLK SONG』(1992)に収録)よりもこちらのほうが辛い。「スプリンクラー」はスピード感が救いだけど、この曲には間があるから。傷の痛みを感じるだけの間が。

疲れ切った男の人を見ると苦しい。帰るところのない野良犬を見てしまったあのやりきれなさにも似ているからだ。

(作詞・作曲:山下達郎 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)

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2006年04月24日

「さようなら」

アルバム『Home Girl Journey』には、その名にふさわしく、旅立ちを歌った曲が数多く収録されている(すでに紹介した「さすらい」や「Home Girl Journey」、オリジナル・ラブのカバー曲「夢をみる人」など)。この曲でも、ある男の子の旅立ちが歌われている。

男の子は、おかあさんと離れ、一人で遠くに「すぐいかなきゃなんない」のだという。初めてこの曲を聴いたとき、私は彼が旅立つ遠い場所とは、天国のことだと思っていた。なぜって、この曲にはただならぬ感じが漂っているのだ。かすかに哀しげな、けれどもピリリとした、霧の濃い肌寒い春の朝みたいな気配が。

しかし今、改めて歌詞を読むと、これから小学校に上がる男の子が、ぬくぬくと平和な家の中の世界から、外に向かって船出していくところを描いているのかな、という印象を持つ。「ピッカピッカの〜1年生」的なはつらつさがなかったので、うっかり悲しい歌なのかと思ったのだった。

この歌では、「新しい世界への第一歩」を「大人に近づく」というよりは、「子供時代の自分がいなくなること」として捉えている気がする。私に死を連想させた厳かな感じがするのは、その喪失の気配のせいだ。そして、私が胸を打たれるのは、子供の「ぼく」が自分の安住してきた世界を失うことを知りながら、それを恐れていないこと、とにかく前しか見ていないことだ。これから成長していく子供なら誰もが秘めている神々しいほどの強さを感じる。

脱皮を繰り返し、「しぬまでいきる」。そんな人の一生のスタートラインに立ったばかりの子供たちが、今年も桜並木の下を通ったのだろう。もう、学校には慣れた頃だろうか。

(作詞:谷川俊太郎 作曲:谷川賢作 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)

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2006年04月23日

ことばのお酒

このブログを始めて、もうすぐ4ヶ月が経とうとしている。
こまめに更新したいと思っているが、忙しかったりして記事を書くどころでなくなることもある。そんなわけで、非常時に備えて、ネタを思いついたらすぐ書きためておく習慣ができた。携帯電話は、電車を待ってるときなんかにすぐ取り出して作業にかかれるので、とても便利だ。私のメールのフォルダには、書きかけの記事がいくつも眠っている。「なんかいまいち」と思うものについても、とりあえずとっておく。途中で行き詰まったものについても然りだ。あくまで私個人の楽しみとして、日記がわりに書きためていた頃と違うのがこの点だ。

書きかけの記事や、我ながらいまいちと思う記事を見返すのは、結構勇気がいる。読み返したときの「ガーン何これ!?」が時として耐えがたい。あえてそんな思いをしたいわけがないので、昔はある程度内容がまとまらない限り、書き残すことはしていなかった。しかし、まずいなりに書きためておいた言葉の中には、時間が経ってから見ると、意外に使えるものが見つかることも知った。どの部分が無駄か、どこを使えば面白いものが書けそうか、時間が経つとすっと俯瞰できたりする。しばらく寝かせておくと、いい感じにまろやかになるお酒みたいなんである(いくら待とうがどうにもならず、捨ててしまうものも多いけど…)。

しばらくはこの方法でいく。忘れた頃に見ると、思いがけないプレゼントをもらった気にもなる。
現在、私の携帯電話のメールフォルダにも書きかけの記事がいくつか眠っている。試しに一つ開いてみよう(ズボラゆえ、題名はつけていない。昔に書いたものだと、何について書いたものかも忘れてしまっている。これがスリリングで面白い)。

テーマ:「オッサンの大きなくしゃみについて」。…ああ、これはゴミ箱行きかも。

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2006年04月18日

「やめるわけにゃいかないわ」

心が泡立つイントロ、彼女は緊張を強いられる局面に立たされている。
けれど彼女はそこから動かない。足がすくんでしまったからか、覚悟を決めたためなのか。細い声で歌われているけれど、勇ましい歌詞。彼女は弱いのか強いのか。少なくとも、目をそむけるのはやめようと考えたのかもしれない。

大人になると、がむしゃらなんて態度は、あまり歓迎されないところに行くことが増える。
それでも、どうしようもなく、心を奮い立たせられてしまうのだ。この曲に。

(作詞:矢野顕子 作曲:冨田勲 アルバム『ト・キ・メ・キ』(1978年)に収録)
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2006年04月12日

「Home Girl Journey」

春の花が咲く瞬間、嬉しい手紙を最初に読んだときのドキドキ、空港に向かう始発の電車に、スーツケースを持ち上げて乗り込む瞬間、それと窓の外の徐々に染まる朝焼け。誰も知らないところで、何かが始まっている。静かに。けれど色美しく。今の季節にピッタリな曲。

(作曲:矢野顕子 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)
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2006年04月09日

「さすらい」

自由で身軽であることのかっこよさ、それに伴う責任を引き受ける気持ち、何かが起これば人の助けも借りるけれど、人のせいにはしない感じ、しなやかだけど、胆がすわっている感じ。それは、知らないところに一人で出かけるとき、必要なものという気がする。

奥田民生さんがこの曲を出したとき、その軽やかさ、邪魔な荷物をもたない(あるいはあえて切り捨てている)自由さが彼らしいと、気に入って何度も聴いていた。アッコちゃんがこの曲をカバーすると、不思議と肝っ玉母さん性が加わった。民生氏の「さすらい」からは、田んぼや無人駅、非日常の一人旅の風景が浮かんでくるのに対して、アッコちゃんの「さすらい」を聴くと、旅を終えて帰ってくる日常の風景を思い描いてしまう。旅は俗世の垢を落とすためにするものなんて言い回しがある。そのコトバから私が連想するのは、面倒を切り捨て、いったんリセットする感じ。しかし、アッコちゃんの「さすらい」は、リセットというよりは、「かかってこんかい」という印象を受ける。結局のところ、人生はいいところも困ったところも、ずーっとつながっているのだという感じがするというか。

子供を生まなくても、肝っ玉母さんにはなれると思う。ホントにさすらわなくても、旅人にはなれると思う。アッコちゃんが歌うこの歌から、そう教わった気がする。

(作詞・作曲:奥田民生 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)
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2006年04月06日

スニーカーが好き

春になって、街の女性の足元が、ブーツからハイヒールに変わり始めた。ハイヒール大好き…見る分には。私自身はフェミニンなヒール靴をほとんど履かない。痛みに耐え切れず、生まれたての鹿みたいな歩き方になってしまうからだ。そんなこらえ性のない私が愛するのはスニーカー。今の職場がGパンもスニーカーもOKなので、一週間の中での登場回数は多い。

子供用の靴売り場を卒業して、初めて買ったスニーカーは、コンバースの白のキャンバス地のやつだったと思う。当時はハイテクスニーカーみたいなのがお洒落とされていたようだが、ジャージを筆頭に、スポーティーなものが絶望的なほど似合わない私は、自分のチョイスに結構満足していた。その後の記憶は途切れ、次に買ったもので覚えてるのが、ニューバランスの青+銀色のもの。意外にこれがどんな服にも合い、とても重宝した。ブルーがお気入りだったのだ。

しかし、私のスニーカー不安定期は、この辺りから始まる。
先述の青+銀のスニーカーに気をよくした私は、「青がいいらしい」と、プーマのスニーカーを購入する。青の地色に、薄いオレンジ色であのプーマの末広がりラインが入ってる靴。セールで安かったから買ったが、この靴は履くたびにイヤになっていった。私にはスポーティーすぎたのだ。次第に母が犬の散歩用に愛用するようになり、その靴は自然と私のものではなくなっていった。その後、「青だからいいというものではない」と悟った私は、ニューバランスへの回帰を決意。台風の日に三宮高架下の靴屋で一目ぼれした赤のスニーカーを購入した。濃い赤色に紺でNの文字が入っているやつ。林檎のようなかわいい赤に魅かれて買ったはずが、1ヶ月で飽きた。プーマより早い。…どんな服と合わせても、「ハイキング風」の印象がぬぐえなかったのである。しかし、ニューバランスのスニーカーのよいところは、その履き心地の良さにある。というわけで、これも「2代目・犬の散歩靴(母娘兼用)」にめでたく君臨したのであった。

この頃から私は気付き始める。妹や友人の履くアディダスのスタンスミスは、何だかんだ言って可愛いということを。キング・オブ・ザ・他人とかぶりまくるスニーカーだが、他人とかぶりまくるのは人気があるからで、人気があるのは、シンプルでコーディネートしやすいからなのだ。シンプルか…。しかし、そうは言ってもアンチ多数派は譲れない私は、スニーカー屋さんではなくデパートのセールでマーガレット・ハウエルの白のスニーカーを買った。ピカピカの買ったばかりの頃には、「テニスの試合にでも行くの!?」とからかわれたドシンプル運動靴は、履きこむうちに有能さを顕し始めた。履き心地よし、スカートとの相性も良し。気に入って5年くらい履いた。

そして、現在のスニーカーである。モーブスというドイツのブランドのものを愛用中。白地に深緑のラインが2本入っているという何の変哲もないデザインだが、横幅が少しだけ細く、丸いつま先がきゅっと上向きなところが気に入っている。ちなみにいただきものである。歩くのが大好きな私にとって、今後も大切にしたい贈り物なのだ。

しかし、今しみじみと不思議なのは、シンプルで長く履けるスニーカーを選べるようになった頃に、うちの犬が老衰で死んでしまったことである。「犬の散歩用」が必要なくなった頃、ようやくスニーカーで失敗しなくなった。こういう不思議なタイミングって、生きているとよくある、などと最近思う。
posted by かなへ at 23:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 不器用貧乏暇なし日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

旅が好き

一人旅を好きになったのは、20代に入った頃。それまでは旅行になんて興味がなかった。でも、買い物は好きだった。行けば知り合いに遭遇してしまう地元の駅ビルなんかじゃなく、雑誌で特集された雑貨店や洋服屋に行ってみたくて、掲載された地図を片手に街をぶらつくのが高校時代の楽しみだった。典型的な地図が読めない女であるところの私は、自分の進む方向が上に来るように、ぐるぐると雑誌を回しながら店を探した(恥ずかしいからやめてと言われるのが面倒で、次第に友達抜きで徘徊するようになった)。そうしてたどり着いた店は、たとえ思ったよりショボくとも、遭難した冬山で見つけた山小屋のように、尊くありがたいものだった(なぜなら目的地にたどり着けないことの方が多かったからだ。私は方向音痴を極めていた)。地図の目的地を確認し、その場所に私なりの感想を持つ…そうすると、「ひとつ押さえた」といった達成感が得られたのであった。

地図を見ながら目的地に着くこと、紙の上では点や面として存在するものが、目の前に実物大で現れること、実際に歩いてみるまでは、単なる丸や四角や線だった記号を帰宅してから見ると、もうそれらは決して丸や四角や線には見えず、風景の映像や外の気温がたやすく立ち上がってくること。地図と実際の風景が結びつく快感は、昔も今も変わらない。道に迷うことも嫌いではなかった。しゃれた店の並ぶ大通りを折れ、路地を行くと、高級住宅街のあいだに、白菜畑がポンポンとパッチワーク模様のように配置されているのを見たり、自分の家の近所では見かけない名前のスーパーマーケットを見たり。そういったことが、なぜ当時の私の心を捉え、今もなお捉え続けるのか、未だにわからない。私以外の旅好きな人にも尋ねてみたい点である。

最初の一人旅は、留学中の友人を訪ねて、オーストラリアはメルボルンを訪れたことだった。時間や費用の面で折り合いがつかなかったため、同行者を見つけられず、一人で会いに行くはめになった。

航空券の買い方やパスポートの取得方法を周囲の友人に尋ねながら、準備を整えた。海外を個人旅行する人に向けて書かれた本を買い、安全確保のために日本では考えられない努力と注意が必要とされることを知った。例えば、パスポートはたいへん大事なので、盗難を防ぐために腹巻状の貴重品入れなんていう珍妙なものが大まじめに売られている…そんなことも、このとき初めて知った私である。

そんなわけで旅立ったメルボルン、初めて見る野生のコアラも、かっこいいおじさんがベンチで新聞を読んでいた公園も、堂々と英語を操りながらすっかり街に馴染んでいた友人も、どれもいい思い出だが、私の薄い胸が最もときめいたのは、空港から街に向かうバスの窓から眺めた高速道路の景色だった。初めて見る外国の風景。道路わきの殺風景な景色の中、ときおり住宅やスーパーマーケット、日本では見たことのない樹木が目に入るたび、見逃してはならない大切な暗号であるかのように、ピクリと反応する。そうこうしているうちに車窓の額縁に建物のシルエットが多くを占め始める。街に入ったのだ。目的地だ! 「自分の力で間違わずに来た!!」 もはや『はじめてのおつかい』気分。興奮のあまり、うっかりひとつ前の停留所で降りてしまい、ホテルまでの結構な道のりを、やはり地図を回しながら歩いた私なのであった。
posted by かなへ at 22:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 不器用貧乏暇なし日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月02日

「KAWAJI」

この曲から連想するのは夜桜と、町の中を流れる小さな川。考えごとをしながらうつむきがちに歩く人。というか、それはあの年の4月の私なのだ。

今の職場に勤めてから、春の訪れにあまり心が躍らなくなった。4月が一番の繁忙期だからだ。それは夏まで続くので、花見と花火大会にはすっかり縁がなくなった。

次々増える仕事を平常心でさばくキャパが足りず失敗をしでかし、自分の力のなさに打ちのめされて帰ったあの日。美しい夜桜は、気持ちいいくらいに私の落ち込みには無関心だった。小さな川は黙って流れていた。だから私は、「それでも私は働くことが好きなのだ」と正直に告白することができた。

海辺は立ち止まって考える場所という気がする。川べりは歩きながら考えるのにいい場所だ。足をとられることもないし。なまあたたかい春の夜風が、知らない花の香りを運んできた。短いこのインストは、電子音でできているのに湿度があるのが不思議。

(作曲:矢野顕子 アルバム『いろはにこんぺいとう』(1977)に収録)



posted by かなへ at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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