2006年01月31日

「会いたい気持ち」

自転車をこいでる女の子が好きだ。
学校に遅刻しそうなのか、わき目もふらずガニマタでこいでる女子高生も、隣の友達とわーわー喋りながらこいでる女子中学生も、ハンドルの真ん中に「さすべえ」(片手運転で傘をささなくていいための道具)をつけてるお姉さんも、どの子も平等にかわいいと思う。自転車をこいでる子は、一生懸命な感じがするからだ。

さらに、自転車に乗っているのが恋する女の子なら、そりゃかわいくないわけがないのである。そんなわけで、「好きな人との約束の場所に、自転車を必死にこいで向かう女の子」を歌った名曲が、私が知るだけで2つある。Dreams Come True の「Ring! Ring! Ring!」と、大貫妙子さんの「会いたい気持ち」である。

アッコちゃんがカバーした「会いたい気持ち」、私の頭には、「私が今日自転車使うのに!!」と怒り狂う妹を振り切って大あわてで自転車で飛び乗り、髪をなびかせ、川べりの道を急ぐ女の子が思い浮かぶ。ピアノの音がきらめいている。川面にあたって反射している。女の子が大好きな種類のドキドキでできた曲だと思う。

(作詞・作曲:大貫妙子 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)


posted by かなへ at 20:17| Comment(5) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月29日

禁じられた(ほうがよい)遊び

 生涯でやった中で最もくだらないことの一つに、下ネタしりとりがある。
 下ネタしりとり。それは、3年前の夏、当時付き合っていた彼と長距離ドライブをした帰りのことである。
 ドライブ前日まで残業続きだった彼は、相当疲れていた様子だった。運転を代わってあげたいのはやまやまだが、私は運転免許を持っていない。わけあってその日はレンタカーで、約束の時間までには車を返さなければならなかった。停車して仮眠をとるのも無理そう。そのような状況下、私にできることを考えた結果、思い至ったのが、昔ラジオで聞いたしりとりの話だった。そのときの私と同じ状況に陥った女性が、隣で運転する彼が居眠りしないよう、考案したらしい。ルールは簡単、「なんかエッチ」と思う単語のみを使ってしりとりするのである。「おーもしろいですねえ、カップルの皆さん、彼が運転に疲れたとき、試してみてはいかがですか?」FAXを読み上げ、DJの女性は言った。まさにその数ヵ月後、能登半島を南下しながら、本当に実践しているカップルがいるなどと、彼女に想像しえただろうか。
 最初のうち、ゲームは和やかに進んだ。「ネグリジェ」「エ? エプロン。あっ、終わっちゃった!!」といった具合に。しかし、能登半島を下りきったあたりから、車内の空気は殺伐としてきた。ゲームを続けるべく、丹念に、しかし高速で脳内辞書をめくりながら「いやらしいボキャブラリー」を捜す二人。しかも、このときに気付いたのだが、脳内エロ検索エンジンに引っかかる単語は、「ん」で終わる語がやたら多いんである(例:乱、淫、姦、倫などで終わる語)。この不毛なゲームは福井県に入ったあたりまで続いたが、その数時間で、頭の中はいやらしい語彙に支配され、また、取り立てていやらしくもない言葉に無理からいやらしさを見出そうと必死な自分にも気付かされた。人間のレベルが5か6は下がった気がした。知恵や記憶を無理やり掘り起こすのは体に悪いときもあるのだ。

(今回ばかばかしくてすみません)


posted by かなへ at 11:42| Comment(7) | TrackBack(0) | 不器用貧乏暇なし日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

She Drives 〜アッコちゃんのクルマの歌〜

私は運転免許を持ってません。交通事故を起こすのが恐ろしいことと、鈍さにおいて右に出る者はいないであろう私が運転したら、必ず事故になるという確信に似た不安を拭い去れないからです。かように何とも情けない私ではありますが、アッコちゃんの曲で歌われる車には、強い憧れを抱いています。行きたいところを自分の意志で選び、誰にも邪魔されずひとり気ままに走る、そういう独立した感じにほれぼれするからです。アッコちゃんのdrive songsには、渋滞に苛立つさまも、目の前をヨロヨロと左右しながら走り、追い越そうにも追い越せない原付を歯がゆく思うさまも、前方の軽自動車の後ろの窓に仰々しく飾られたハワイのレイみたいなのについて疑問に思うさまも、そんなものは描かれていない。あるのは自由と、自分のしていることに責任を持っている人が持つほんの少しの緊張感。その感じが好きなのです。で、一度、彼女が歌った車の歌を探してみようと考えました。私が見つけたのはこれだけです(他にもご存知の方はご一報を)。

・「SHE DRIVES」(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『GO GIRL』(1999)に収録)
・「GO GIRL」(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『GO GIRL』に収録)
・「赤いクーペ」(作詞:谷川俊太郎 作曲:小室等 アルバム『Home Girl Journey』(2000)に収録)
・「海辺のワインディング・ロード」(作詞・作曲:忌野清志郎 アルバム『Home Girl Journey』に収録)
・「さすらい」(作詞・作曲:奥田民生 アルバム『Home Girl Journey』に収録)
・「トランスワールド」(作詞・作曲:奥田民生 英語詞:矢野顕子 アルバム『reverb』(2002)に収録)

海辺のワインディング・ロード」は、もしかして、ふたりが乗ってるのはオートバイ? という気もしなくはないのですが、一応載せました。「さすらい」は、奥田民生さんの原曲を聴いてると、鈍行列車の気ままな旅というイメージなのですが(歌詞にも「終列車」と出てくるし)、アッコちゃんのは車でさっそうと走るイメージです。アルバムの歌詞カードに掲載されている、アッコちゃん本人による解説に、民生氏の原曲に影響を受け、「Gas Pedal(アクセル)をぐーんと踏んで出かけていった」といった記述があるので、それを読んだせいかもしれません。

こうして数えてみると、思ったほど多くなかったのが意外でした。それに、最近出たアルバムに集中していることも、新たな発見。NYに移住してから、よく車に乗るようになったのかな?? 上述したような、日本で車を運転する際に頻発するプチストレスの溜まりそうなシチュエーションが匂ってこないのは、そのせいかもしれないですね(ていうか、そういうのは歌にならない!?)。

アッコちゃんと車といえば、以前、BS放送で彼女のドキュメンタリー番組が放映されていて(『輝く女』という題名のやつ)、その中で彼女が車を運転してニューヨーク郊外にあるスタジオに行く場面がありました。番組前半部分の、NYの街をがしがし歩き回り、日用品を買いまくるアッコちゃんも素敵でしたが、あの運転の場面が忘れられない私です。



posted by かなへ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ヤノアキコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

「Kyoto」

「京都慕情」のカバー。アッコちゃんの歌はどれも好きなので、賞賛ばかりになってしまうけれど、彼女の失恋の歌は、ほんと震えがくるほどかっこいい。軽やかなのだ。

軽快なドラムのイントロとともに、私は鴨川の橋の上に運ばれてゆく。季節は夏。私は橋の上から川を渡る鳥を見ている。たくさんの人が私の脇を通り過ぎてゆく。夕やみに川床にビアガーデン、ビジネスマン同士の笑い声、ミュールのかかとの音、学生のバカ話。

コンサートでこの歌を歌うとき、アッコちゃんが申し訳なさそうに話すのと同様、私も桂川や東山のことはよく知らないのでピンとこない。だから私は私なりの Kyoto に行ってしまう。あの歌詞に描かれたしっとりとした風情とは別物になってしまっている。それは大目にみてもらおう。

四条大橋の欄干から、私は遠くを眺めている。みんなとても楽しそうなのに、私はどうしてこんなに淋しいのか。だけど Kyoto の街は素敵だから、このどうしようもない思いさえ、まぼろしのように切なく美しいものに思えてしまう。アッコちゃんの「Kyoto」はそんな感じの歌かしらと、パーッと情景が思い浮かぶ。好き勝手に思い巡らす。

苦しめないで ああ責めないで、その歌詞とはうらはらに、メロディーはとても軽やかだ。私は風に乗って、向こうの通りに架かる橋のまだ向こうまで飛んでいけそうだ。軽やかなのは、悩んでないからじゃない、さんざん悩んだあとだからだ。心が破けそうになるキモチに苦しめられて責められて、自室にこもって最低一晩涙を流したり寝返りをうったりしたあと、ようやくその街に辿り着き、街の美しさに自分のかなしみを溶かし込むことができるのだ。そのとき歌が生まれるのだ。

矢野顕子版「Kyoto」が作り出した何ともいえぬこの距離感。つらい、暗い思いを一時の感情に任せてその場で歌ったなら、この軽やかさはありえない。つらい、暗い夜を一度はひとりで耐えなければ、このふっきれた軽やかさはありえない。だからこの歌はかっこいいんだ。震えがくるほど。私を軽々と Kyoto の街に運んでいってしまうほど。

(作詞:林春生 作曲:D. Wilson, M. Taylor, J. MacGee, J. Durril アルバム『OUI OUI』(1997)に収録)
posted by かなへ at 20:18| Comment(8) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

先生の口ぐせ

大学院時代にお世話になった先生の口ぐせで、大好きなものがある。

授業中先生は、作品に関する質問を一つして、学生に答えさせる。「今回読んだ箇所には島が出てくるけど、皆さんはそれぞれどんな島に行ったことがありますか?」などといった、一見世間話のような質問もあれば、それぞれの学生の専門分野について答えさせるものもある。いずれにせよ、先生が大事にしていたのは、学生一人一人に自由に話をさせること、そうやって目の前の作品と学生との距離を縮め、作品をしっかり味わうように促すことだったのではないかと思う。

学生の返答に対する先生の態度もとても素敵だった。ほんとうに面白そうに聞いてくれるものだから、こちらとしてもつい力が入る。この教室にいる誰かの興味を喚起したいと野心にかられ、感じたことは余さず言語化していこうと奮起する。

そして学生にひとしきり話をさせたあと、先生の例の口ぐせが出る。
「面白いね。みなさんの意見で、1冊の本が作れそうだ」

私たちがいま何気なく口にした言葉は、もっと掘り下げてゆけば、1冊の本になるだけの可能性があるかもしれない、知らない他人に問題提起できるような、新しい発見をしてもらえるような、笑ってもらえるような、深く考えてもらえるような、それだけの価値があるかもしれないんだ…。先生の口ぐせに、毎度飽きずに心おどらせる私だった。本好きの私にとって「1冊の本になる」というコトバは、ちょっと神聖で特別なにおいがした。すでに何冊も本を出したことがある先生だって、おそらくそういうニュアンスで言ってたんじゃないかと思う。

地位も名誉も獲得したベテラン先生の口からこんな言葉が出るなんて、いま思い返しても、やっぱり素敵だ。もし私が先生みたいな立場にいたら、予習も満足にできていない(すいませんでした)ツメ甘で青くさい学生たちの言うことなどに、寛容な態度で耳が貸せるだろうか。彼らの言葉に「1冊の本」にできるような、キラリと光る面白さを見つけ出すことができるだろうか。舌足らずな言葉にしびれを切らし、つい自分の言葉で訂正してしまいはしないだろうか。

「1冊の本」を作るものは、たぶんどこにも(日常にも、自分の内面にも、他人の言葉にも)あふれているのだと思う。それを見つけ出し言語化したとき、「本」が生まれる。それは、自分だけじゃなく、他人も有する可能性なのだ。

自分が作るかもしれない「本」ばかりじゃなく、他人が作るかもしれない「本」の可能性、そういうのを喜べる人になりたいな、と思う。

posted by かなへ at 22:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 不器用貧乏暇なし日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

「クリームシチュー(The Stew)」

傷つくことの痛み、不確かなひとの心、激しい雨、冷たい風。誰の人生にも必ず訪れるかなしみのコトバが、あかるいメロディーにくるまれて、まるみを帯びる。「傷つくことはとても痛いけど 傷つくことは怖くはないんだ」だってさ。なんという包容力。体の芯からとろ火の希望でほかほか温まる歌。

(作詞:糸井重里 作曲:矢野顕子 アルバム『OUI OUI』(1997年)に収録)
posted by かなへ at 21:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月22日

「ねこがかくしているもの(What Cats Feel)」

猫を飼ったことがない。「猫は忍び足で歩くから」というよくわからない理由のもと、うちの父が猫を好かないからである。

しかし、餌をもらえることを期待して、ちょくちょく我が家の裏庭に顔を出すのら猫がいる。少し離れたところから、首をかしげてじっとこちらを見るさまは、警戒しているふうにも、私と友達になりたがっているふうにも見える。心をとろかすような甘え声で鳴くので、何かねだっているのかと、チャーハンの具に刻んでいたちくわを手に歩み寄ると、すぐさま後ずさり、「シャー!」と形相を一変させる。裏庭にしぶとく居座る日もあれば、家人の顔だけ確認して、あっさり立ち去る日もある。あんまり鳴くのでつい心配になって煮干をやると、半分残して帰る日も。まったくもって、何を考えているのかわからない。

猫にたまに触る。例えばお店で飼われてるのとか、人に慣れた猫がいれば、その機会を必ず伺う私である。ふかふかとさらさらの中間の毛皮に触れたり、目線はこちらに向けたまま、突然コロリと寝転ぶさまを見ていると、ふにゃりと心に隙が生まれ、つい自分のかくしている弱さを白状したくなる。この歌の「僕」の気持ちは、じつによく理解できる。

しかし、依然として、ねこが心の中にかくしているものはわからないままだ。

(作詞:糸井重里、矢野顕子 作曲:矢野顕子 アルバム『reverb』(2002)に収録)
posted by かなへ at 20:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

You Are What You Eat!?

 ここ数年で、食べ物の話をするのがやたら好きになった。昨日食べたもの、おすすめのケーキ屋さん、好きな実家のおかずは何か、など。
 以前はどちらかというと、食べることは苦手分野だった。小食で味オンチで。
 学生時代、映画に関するフリーペーパーの編集に携わっていたとき、「食についての映画特集」の号で映画評を書くことになった。執筆者一人につき一本、特集テーマに合った作品を選んで書いたのだが、何と5人の執筆者中、私を含む3人が「人肉」を扱った映画を選んできた(『301・302』、『デリカテッセン』、『コックと泥棒、その妻と愛人』…ちなみに残る2本は『タンポポ』と『バグダッド・カフェ』だった)。食べることにさしたる関心を持たなかった当時、それらのチョイスにあまり疑問を感じなかったのだが、今思えば、うーん、もうちょっと何とかできなかったのか…。人肉3+コーヒー1+ラーメン1の「食べ物特集」って一体…。
 変わり目は、自分でゴハンを作るようになってから…いや、自分が作った料理がおいしいと思えるようになってから、だと思う。
posted by かなへ at 20:02| Comment(5) | TrackBack(0) | 不器用貧乏暇なし日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月20日

「ラーメンたべたい」

傷ついた男の人は見ちゃいられないが、傷ついてる女の人は、意外とたくましい。「いつか見とけ」とココロの中で誓ってる。しぶとくシアワセを希求していたりする。すべての女性がそうではないだろうけど、あっこちゃんの失恋の歌にも、何だかそういう空気がある。

ラーメンたべたい」に漂うたくましさといじらしさ。いいではないですか。
カップルの隣でほんのちょっぴりムキになりながら、ねぎのどんと盛られたラーメンをすする。あえて景気よく、無心に。なにかに挑むみたいに。女友達とつるんで愚痴りながらなど、もってのほか。一人でしっかりと麺とスープに集中するのだ。まずは一人で失恋のかなしさを受け止めるのだ。最後の一滴まで残さずに。

でもかたくなになってるわけじゃない、おなかいっぱいになると、つい素直に認めてしまう。男もつらいけど、女もつらいのよってこと。その気持ちを振り切るみたいに書く「思い切り大きな字の手紙」には一体何が書かれているのか。シアワセな未来をつかむための呪文かも。


ラーメンたべたい」は、女の子の歌だとばかり思っていたら、アルバム『Live Beautiful Songs』(2000)の中で、奥田民生さんがみごとにこの歌を歌い上げていた。う〜ん、女もつらいが男もつらいのか…。名曲は、性別なんていとも簡単に越えてしまう。

(作詞・作曲:矢野顕子 アルバム『オーエス オーエス』(1984)、『HOME MUSIC II』(1989)、『Hitotsudake the very best of Akiko Yano』(1996)、『LIVE Beautiful Songs』(2000)収録)
posted by かなへ at 22:32| Comment(6) | TrackBack(1) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月19日

「あわて床屋」

童話に童謡、昔話。子供の頃見聞きしたものの中には、恐ろしいやつが結構ある。悪夢で目覚めて母親を煩わせた責任の半分くらい、とってもらってもいいんではないだろうか(したがって、ああいうものはなくなればいい…という意味ではまったくないので、念のため)。

で、この「あわて床屋」。これも、かにの床屋がうさぎのお客の耳を誤って切り落としてしまうという歌詞である。痛い話が大嫌いな私は、それだけでギャーなのだが、耳をちょん切られたうさぎのほうは怒る元気があるようだし、かにはかにで、恥をかいたといって穴に隠れる程度で済んでいる。この調子なら、3日も経てば、かには何食わぬ顔で業務を再開し、うさぎは何事もなかったかのように、また床屋を訪れることだろう(そのとき彼の耳はどうなっているのだろう)。

突っ込みどころ満載の軽さと残酷さが同居する歌詞に陽気なメロディー、それをしゃあしゃあと(?)歌い上げるアッコちゃん。この頃のアッコちゃんの、少しはすに構えたような、あえてドサッと投げ出すような歌い方が、かえっていい味を出している。大人になってから童謡を楽しむ喜び。

(作詞:北原白秋 作曲:山田耕作 アルバム『長月神無月』(1976)に収録)
posted by かなへ at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月18日

「ばらの花」

中盤から弾みをつけて速度を増すピアノ、「あんしんな僕らはぁおぅ〜」と転がる歌声。
あまりに力づよく、でも気持ちよさそうで、五月の強風の中の鯉のぼりみたいだと思った。

例えば「ジンジャーエール」、「最終バス」、「旅に出ようぜ」、「ばらの花」、それらのコトバが喚起するイメージ、だけど同時に「君に会えずほっとして」しまう照れ。想起される青春の空気。歌詞の中の「ぼく」は、お気に入りのスニーカーばかりはいてそうだな。ぱっと見ボサっとしているけれど、細かいところもあるかもしれない。イメージがふくらむ。ココロ惹かれる歌とは、その点できりのないものなのだ。

心をくすぐる歌詞やメロディーからイメージを抱きとめ、からだいっぱいにふくらませ、アッコこいのぼりが泳ぎまわる。雨はやんだ。本日は強風なり。青空にむかって掲げた咲いたばかりのばらの花が飛ばされてしまわないように。

(作詞・作曲:岸田繁 アルバム『ピヤノアキコ。〜the best of solo piano songs〜』(2003)に収録)
posted by かなへ at 22:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

「Röslein auf der Heiden」

「童は見たり…」で始まる、あの『野ばら』。途中に英語の歌詞も入る。

この曲のなかの少年が出会ったバラは、初恋の女の子のことなのかな? という感じがする。
ツンとした美しさは生意気とさえ感じられるのに、どうしてか気にかかる。今までにない気持ち。

うつくしいばらの花に出会った少年の驚き、
飽かず見とれてしまう恍惚感、
どうしても自分のものにしたくて、思わずぷちんと摘み取ってしまう乱暴なきもち、
そのあと得られる淡い後ろめたさとひそやかな満足感、

それらが、つつましやかに、でも、はっとするようなみずみずしさで描かれる。
ほんの一瞬のささやかなできごと。誰も見ていない。
だけど少年は、大人になって、ふとしたときに思い出すかもしれない。

(日本語詞:近藤朔風、英語詞:Dr. T. Baker 作曲:H. Werner アルバム『GRANOLA』(1987)に収録)
posted by かなへ at 20:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月16日

「虹がでたなら」

出だしのアカペラで、ほの暗いところにほっと明かりがともされる気分がする。
やわらかな明かりが照らすのはほんの一部分で、暗い場所も残っている。その暗さに惹きつけられて、何が隠れているのか気にかかり、目をこらす。私にとってはそんな気持ちにさせられる歌だ。
柔らかな光と柔らかな闇、その両方が同時に歌われていて、そのことに私は飽きもせず感心させられるのだ。

(作詞・作曲:宮沢和史 アルバム『PIANO NIGHTLY』(1995)、『TWILIGHT』(2000)に収録)
posted by かなへ at 21:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月14日

「Watching You」

眠っている「あなた」を見つめる「わたし」。眠っている「あなた」のおしりを「少しやさしくつねってなでて」から、「よかった あなたがいて」と感じる私。やさしく親密で満ち足りた空気が流れていることを、わかりやすく伝えるメロディー。

この歌を聴いたのは、果てしなくウブだった高校生のとき。男女のことがこれほど穏やかに歌われていることに衝撃を受け、かえって二人の体温がリアルに伝わってくる気がしてどぎまぎした。それまで聴いたことがあった男女の歌と言えば、「激情」だの「欲望」だの「危険な腰つき」だのが、若い男性歌手によって力まかせに歌いあげられる、ぎらぎらした類のものばかりだったからだ。かわいらしい声をしているけど、オトナの余裕を感じさせる人だな、矢野顕子…と感じ入った。

しかし、その後私は知ることになる。この曲が、赤ちゃんの紙おむつのCMに使用されていたということを。そう、「あなた」とは、恋人ではなく、「わたし」の子供のことだったのだ!!

改めて歌詞を見ると、大部分がひらがなで書かれている。それに、「ちいさな命」という表現も見つかる。「あなた」が赤ちゃんのことであるのは、ほぼ間違いないだろう。何と慌て者でおませな女子高生であったことか。

だけど、だけどである。今改めて聴き直しても、この赤ちゃんの向こうには、バサバサと羽ばたくコウノトリでも、一面に広がるキャベツ畑でもなく、幸福な一組の男女がいる。そんな気がするのだ。

(作詞:矢野顕子、糸井重里 作曲:矢野顕子 アルバム『WELCOME BACK』(1989)、『Hitotsudake the very best of Akiko Yano』(1996)に収録)

posted by かなへ at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月13日

夢バトン

ブログをやってる友達から、「夢バトン」をもらいました。

何とはなしに藤子不二雄チックな響きをもつ「夢バトン」。
それは何かと尋ねたら、どうやらブログをやってる人たちの間で広まっている、平和的なチェーン・メール(?)みたいです。

やり方は、「夢」に関する7つの質問に自分で答え、そのあと、同じ質問を別の人5人にする、というもの。今もどこかで仕掛け人がほくそ笑んでるのかと思うと、何となく面白くないけれど(屈折した性格)、私以外の人がいったいどんな返答をするのか聞いてみたい。まぁそのためにも、まずは私がやってみます。

1.小さい頃、何になりたかったか?
→作家。

2.その夢は叶いましたか?
→残念ながら、叶ってません。

3.現在の夢は?
→@アッコちゃんにこのブログを見てもらうこと。
Aアッコちゃんのライブを、最前列で聴くこと(経験なし)。
B本を出版すること(編集者としてでも、執筆者としてでも)。そしてその本が売れ…いや、たくさんの人に愛されること。

4.宝くじで3億円当たったら?
→もう3億円くださいと言います。嘘です(JFKの妻ジャクリーヌが、「もし百万ドルもらったらどうしますか」と聞かれてこう答えたそうです。高校生の頃テレビで見た)。

ほんとうのところは、長期休暇をとって、以下のことをします。
@四国のおばあちゃん二人に会いに行く。「わたしの目の黒いうちに、お前の花嫁姿および孫の顔が見たい」と涙ながらに訴えられた場合は、そそくさとフェリーで帰る。
A家族を旅行に連れて行ってあげる。
Bそのあと一人旅もして各国を放浪する。
Cアッコちゃんのさとがえるコンサート(全国ツアー)を追っかける。そして、全国のおいしいものを食べる。
D耐震構造の分譲マンションを購入。
E株について勉強し、身を滅ぼさない程度に投資する。
E『水曜どうでしょう』のDVDをそろえる。
F残りは貯金。

5.あなたにとって、夢のような世界は?
→雇用の安定した社会。

6.昨日見た夢は?
→受験生に混じってセンター試験を受けている。試験中、私の席に日本史の問題集が置かれているのに気付く。「何これ、見つかったらカンニングと思われるやん!」と、片付けようとしたところを、案の定試験監督のおじさんに見付かり、会場をつまみ出される。「誤解です、私の話を聞いてください!」と、おじさんの顔を見上げて訴えると、それはうちの会社のK村さんだった。

7.夢の話を聞いてみたいと思う人5人は?
→まずは友人知人から4名。misumisu、みすたー、プリン隊のお二人。そして、あと一人はもちろん矢野顕子さん。

7.で選ばれた方々でブログをお持ちの人は、自分のブログで同じことをやるがよいそうです。お持ちでない方は、後日こっそり私に教えてくださいませ。あ、もちろんコメントに書き込みして、ご来訪いただいた皆さんに見ていただくのもアリですよね。期日はなし、断る権利はありってことで。

さて、どんな夢を聞かせていただけるのやら。

上記5名に該当しない方も、やってみません? (と勝手にルール改変する私)
書き込み、お待ちしています。

posted by かなへ at 20:51| Comment(13) | TrackBack(0) | 不器用貧乏暇なし日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

「それだけでうれしい」

17歳のある日を思い出してみる。

気位ばかりが高かったあの頃。
羞恥心が強くて、人に嫌われたり笑われたりバカにされるのが怖かったあの頃。
そんな臆病な自分を知られたくなくて、あえてバカにされるようなことばかり言ってたあの頃。
だれかに自分を認めてほしくてしかたないくせに、自分はだれかを認めようとしなかったあの頃。憎まれ口ばかりのあの頃。
国語の教科書の「山月記」の李徴が自分のことみたいに思えて、何度も読み返し、こっそり泣いていたあの頃。

そんなとき、アルバム『SUPER FOLK SONG』に収録されていた、やわらかでまっすぐなこの愛の歌に出会った。それは人生の一大事件だった。

うれしい。

(作詞:矢野顕子 作曲:宮沢和史 アルバム『SUPER FOLK SONG』(1992)、『LIVE Beautiful Songs』(2000)に収録)
posted by かなへ at 20:34| Comment(7) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月10日

マイ・ファースト・やのあきこ

 何日か前、「アッコちゃんを始める人のために」と銘打ち、矢野顕子さんの曲を聴いたことがない人におすすめしたい曲とアルバムを紹介しました。
 かく言う私は何からアッコちゃんを始めたのか。今回はそれについて書きたいと思います。

 最初に買ったアルバムは『Welcome Back』(1989)、高校生のときでした。
 当時聴いていた音楽ではもの足りず、かと言って田舎の我が家はFMラジオが聴けない環境、聴きたい音楽とどのように出会えばよいかわからず試行錯誤していた頃、雑誌で「矢野顕子という人がすごい」という情報を見つけました。というわけで、まずは上記のアルバムを入手。これを選んだ理由は、私が行った中古CD屋にこれしか置いてなかったからです。
 最初に聴いた感想…「何だこれ!?」。流行りの曲しか聴いてこなかった当時のキャパシティーでは、…何でこのCDは、童謡のCDでもないのに「ぶどうのぶーちゃん ぶどうかい…」(「みのりのあきですよ」作詞:糸井重里、作曲:矢野顕子)なんて歌詞で始まる歌が入ってるんだ?? と目を丸くするばかりでした。大人が楽しむ音楽と、子供が楽しむ音楽は、ぱっかり分かれてるんだと信じていた頃のことです。一見オンナコドモ向けと見せかけ、しっかり飲むとしっかり酔うヨギー系のカクテル味。初めてのアッコちゃんは、ピンと来ない印象でした。ただ、冒頭の「"It's For You"」(作曲:Pat Metheny、Lyle Mays)とラストの「Little Girl, Giant Heart」(作曲:矢野顕子、窪田晴男)は、「今までに出会ったことない美しい音楽だ」というはっきりとした感想を持ちました。今でも大大好きな2曲です。

 その後仲良くなった友達から借りたアルバム『ただいま』(1981)も、同じような感想(偶然にも、最初に聞いた二枚のアルバムが、「おかえり」と「ただいま」になってるとう…)。子供が作った詩にアッコちゃんが曲を付けた「たいようのおなら」(作詞:にしづかえみこ他、作曲:矢野顕子)、感想:「カラオケで歌えねーよ!」…わかりやすいメロディーがない歌への驚き。しかし、その中で辛うじて「カラオケで歌えそう」な(…カラオケに入っていればの話ですが)「ただいま」、「春咲小紅」(どちらも作詞:糸井重里、作曲:矢野顕子)は、よく耳にする流行の歌より、ずっといかしてると感じました。何年か漬けてある、さらりとしてないあまく香る梅酒といった印象のアルバムです。

 運命の出会いは、その後にやって来ました。「矢野顕子は私には早すぎるかも」と言う私に、別の友人が『LOVE LIFE』(1991)を貸してくれました。これまでに聴いた二枚とは違う、はっきりとした手ごたえ。スコーンと明るい「BAKABON」(作詞・作曲:矢野顕子)で始まり、しっとりと内省的な「LOVE LIFE」(作詞・作曲:矢野顕子)で終わる。よく晴れた一日のようなアルバムです。シャッフルせずに聴くことをおすすめします。砂糖控え目のホットミルクティー味。
 ジャケットは、白い背景のやや左側に、和服姿のアッコちゃんが、穏やかな(あるいは不敵な?)微笑みを浮かべて立ってる写真。今まで出ているアルバムの中で、私はこのジャケットが一番好きです。この『LOVE LIFE』が、現在にいたる私の音楽の好みを決定づけたような。その意味で、ホントのマイ・ファーストアッコちゃんはこのアルバムかなと思っています。

 今回長くてすいません…。
posted by かなへ at 22:07| Comment(4) | TrackBack(0) | ヤノアキコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

冬のお召し物あれこれ

 バーゲンセールの季節。勇んで参戦したものの、これといったものに巡り会えず、スカートと手袋と靴を購入するにとどまった。
 女友達に聞くと、冬のお洒落が一番楽しいと答える人は結構いる。身につけるものの点数が増えることによって、コーディネイトの楽しみが増すのだそうだ。
 私に関して言えば、冬物の服を選ぶ際の最優先事項は「暖かいこと」なので、自由度が減る分、夏のお洒落のほうが好きなのだが、それでも、冬物の服の中には、見てるだけで幸せになるような素敵なアイテムが数多く存在すると思っている。

1.タートルネックのセーター
 男性が着てるのを見るのも女性が着てるのを見るのも好き。10年以上前、漫画家の青木光恵さんが、雑誌に連載していたコラムの中で「テレビのCMで、かとうれいこが黒のタートルネックを着ている姿がたいへん可愛かった。胸の大きい女の子のタートルネック姿はいい!!」という旨の発言をしていた。なるほど、豊かな胸の女性のリブ編みニット姿は、いつ見てもじつにいいものであるが、タートルネックとは、うすっぺたい体型の女性が着ても、それはそれで味わいのあるものだと思う。オードリー・ヘップバーンのタートルネック姿は、清楚で知的かつチャーミングなたたずまいがあって、私は大好きだ。

2 小さいピーコート
 これは女性限定。ここ数年のうちに冬物の定番となった、華奢なシルエットで丈の短いピーコート。じつにかわいらしい冬のお召し物だと思う。この冬、我も手に入れんとバーゲン会場に赴いたが、数店舗にわたる試着の末、やめた。街を歩く女性たちがいとも簡単に着こなすあの服に私が袖を通すと、「サージェントかなへ」風に…(注:sergeant「軍曹」)。ああいったときに、店員に「すごいきれいに着てはりますよー」などと言われると、「私のきれいはこんなもんと違うんじゃい!!」と大見栄を切りたくなる。

3 ダッフルコート
 今までの人生で、ダッフルコートを着たことがない。でも見る分には大好きな服だ。以前、知人の男性が「俺はダッフルコートは着ない。あの服が持つかわいらしさが恥ずかしいんだ」と言っていた。確かに、着る人が着ると、目のやり場に困るくらいかわいらしく(あるいは野暮ったく)なってしまうのが、ダッフルコートの恐ろしさだと思う。同時に、ダッフルコートを見事に着こなしている男性は、上級者だなあという感じがする。街を歩いていて見かける分には、そういう人はいかつい系の男性に多い。料理研究家のケンタロウさんなんかも、似合うんじゃないだろうか。
posted by かなへ at 14:52| Comment(5) | TrackBack(0) | 不器用貧乏暇なし日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「TIME IS」

恋人と恋人の生まれ育った町にやって来た場面が歌われているのだろう。
相手の昔話に耳を傾け、はじめて見る景色をきょろきょろと眺めながら、穏やかな気持ちで肩を並べて歩くリズムが、曲の中に閉じ込められている。晴れやかなメロディーだ。きっといい風も吹いてるんだろう。

(作詞:矢野顕子、糸井重里、宮沢和史 作曲:矢野顕子 アルバム『LOVE IS HERE』(1993)に収録)
posted by かなへ at 14:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 楽曲レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月08日

ああ聞き間違い

 今年から、センター試験の英語でリスニング試験が導入される。ついにというか、やっとというか。…しかし、私が受験生だった頃に、そんなものがなくて正直よかったとも思う。私はリスニング・ダメダメ高校生だったのだ。
 英語のリスニングに関しては、その後英文科に進んだことなどもあり、耳から血の出るような努力をへて(嘘)、今の仕事に支障が出ない程度にまでは改善することができた。しかし、日本語のリスニング能力に関しては、今でも相当あやしい。寿退社した会社の同僚のお別れの言葉が、「かなへさんのアクロバティックな聞き間違いが好きでした」だったほどである。
 しかしながら、自分がどんな間違いをしたかというのは、意外と覚えていないものである。代わりに、学生時代に級友がやらかした「アクロバティックな聞き間違い」で印象的だったものを一つ紹介したい。

 会話の中で私が口にした「獅子狩紋錦(ししかりもんきん)」という単語を、「ええ、しっかりモンキー!?」と聞き間違えた彼女。「しっかり」という語が持つ堅固な感じと、「モンキー」という語が持つ、ひょいひょいとした軽さが噛み合わず、えも言われぬおかしみを醸し出しているではないか。
 しっかりモンキーとは、仲間が食い散らかしたバナナの皮を、黙々とゴミ袋に片付けるサルのことであろうか。それとも、食料の乏しくなる冬に備えて、保存食作りに余念のないサルのことか。それとも…(きりがないのでこの辺で)。
 そして、今どうしても思い出すことができないのは、一体どのような文脈で私が「獅子狩紋錦」という単語を口にしたかということである。
posted by かなへ at 17:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 不器用貧乏暇なし日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。